2012/04/26

JACKSON POLLOCK展の話

みなさまこんばんは。

今日はひっさびさにお出かけ。
そう!本当にひっさびさ!

結婚式に使うプロフィールムービーや写真撮るっていうのと、タキシードを借りに。
あと前々から約束していたポロック展へ。

弟は毎度ながら遅刻するとお怒りになるのですが、今回は僕ら夫婦が30分は遅れるだろうと予想していたらしく同じくらいの時間に駅で合流。
ごめんなさい(笑)

なぜか今日は弟が結構おごってくれました。まぁ次回埋め合わせってことになったわけですがありがたい話です。

タキシードを借りに行ってまずは採寸。

バスト80のウエスト65でした…。
しかも肩幅が異様にあって腕も異様に長いので、タキシード屋さんは『今まで来たお客さんの中でも1,2を争うくらい細いですよ…着る服に困ったりしませんか?』と一言…。
長年の僕の悩みである。

まぁでもなんとかちょうどいいサイズのタキシードも見つかり一件落着。

その後お茶しながらムービー撮ってもらったりしていざポロック展へ。


























観てよかったって思えた。とても素敵なアーティストでした。
ピカソ以来久しぶりに素敵なアーティストを知れた感じがしました。

僕は絵のことは詳しいわけではないし、感覚的なものでしかわからないのだけれど、今回ポロック展を見て思ったことがある。

~なポロックの心情が表れている。と説明文みたいなのが何個か絵の横に添えられていた。

有名な画家さんなんかになるとこういう風に分析する人が必ずいるのだろうが、本人から直接聞いての文章なのだろうか?
よりわかりやすく描いているんだとは思うが、少しだけ疑問に思った。
描きあがるまでの経緯や気持ちなどの部分はいくら批評したところでどうしようもないと思う。
勿論あたっているものもあるのだろうと思うがそんなもの本人だけが知っていればいい。
こういう風に描きましたと本人が語ったのならそれは全然構わないのだけれど、何もコメントなどが無いような作品にこういう風に描いたんじゃないか?こういう心情が表れていたんじゃないか?
なんて説明は要らないんじゃないかなぁと。

美術館などで作品を見たときなどは僕もそういう風に話したりもするがあくまで個人同士で話すことがほとんど。

絵の横の説明文を先に読んだりすると、先入観が先に入ってきてしまって凝り固まった見方になってしまう気がする。
そんなに気にも留めない人もいるとは思うけど、大概の人はそうなってしまうんじゃないだろうか。

本当にポロック本人がそう語ったのなら何も文句は無いが別の人が語ったのならいくら親しい間柄の人が言ったことでも、本人の想いとは違ったものになるような気がする。

特に抽象画みたいなものって風景画などに比べて、先入観が入ることによって台無しになってしまう気がしてならなかった。
見る人の感性によって全く違ったものに見えたりすると思うからだ。

説明文などが添えられていていいこともあるのだろうが。
別にこの絵は~だと決め付ける必要などないし、何もわからなくてもただただいい!とか、あんまり好きじゃない!とか感じる絵もあるわけで。
もっと自由でいいんじゃないかと少しばかり思いました。

とまぁ長々書きましたが、僕は個人的に初期と後期の絵がとても好きでした。
絵の具を撒き散らしたような絵は僕も見たことがあったのだけれど、初期の絵と後期の絵の方が心にくるようなものが多かった。
うん、本当に久々に素敵と思いました。やはり美術館とかでもっと色々観たりしたいな。

楽しい一日でした。明日は動画の編集します。う~ん、ちゃんと出来るかな。

ではではお休みなさい~。



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