2012/04/28

30人31脚に出たときの話 ~其の三~ 六年生編

どうもです。結構見てくれてる人いるみたいでうれしい限りです。
これからが本番!!と言っても過言ではない六年生編の始まりです。

この当時の担任はM先生。
六年生編ではM先生でいこうと思ったけど…もう本名晒すことにします…。
ごめん先生。M先生ではあなたのことは語りきれません…。
三星ゆきこ(珍しい苗字やけど本名。名前の漢字は忘れました…)という名前の当時30前半の女教師。

チャームポイントはいつも大きな口に真っ赤な口紅。髪の毛も金とか赤のメッシュ入れたりでなかなかファンキーな小学校の教師でした。
でもいつもジャージ着てたな。

この人歴代の先生の中で一番熱血やったかも。まぁそれはそれはお世話になりました。

さてさて、30人31脚も三年連続ということでやたら地元テレビから注目されたりした記憶があります。
北陸朝日放送だったか、わざわざFAXで応援メッセージをくれてたなぁ。
打倒!R校みたいな感じで。

R校というのがまたまた速かったわけで。知らぬ間にライバル視してましたね、僕ら全員。
テレビで出場校の紹介みたいなやつでもライバル的な感じになっておりました。

この年が最後というわけで、僕らの頭の中は全国大会に行くということ、賞金をゲットすること。
この二つしかなかった気がする…。

賞金いくらだったか忘れたけど結構な額でした。
その賞金をどう使うかとかまで学級会議したり。勿論授業中に…。

結局おいしいもの食べる旅行に行こうみたいな感じでまとまった。

最後ということもあり、先生の派手さもありまずは見た目も!ということで赤いTシャツをみんなで買った。それにいっぱい落書きしたり、名前書いたり。

六年生の練習は結構キツくて夏休みも相当へばりながら練習。
でも文句とかそんなのは出るわけもなくて。あの時はきっとみんながみんな、目指していたはず。
全国大会に行くこと。
賞金をもらうことを…。

と、ここで大会に出るにあたって問題が発生した。
まず支部大会みたいなのがあって、それはまんまと通過。

確かその後?記憶は曖昧だが、僕のクラスではバドミントンをやっていた子が何人かいて、その中でも強い子って全国で何位とかそういう感じだったんです。
今思うと凄いなと思うけど。

30人31脚の大会の日とバドミントンの大会の日が重なってしまったのですな。

もう何日間にも渡ってみんなでどうするか、どっちに出るのか、そんなこと話してた気がします。
勿論授業で。

ちょっと余談ですが、この頃授業してた記憶がまったくない。ただ記憶にないだけかもしれないけれど。
そもそもあまり授業をちゃんとする先生っていなかった気がする。
クラスの後ろの棚の上には好きな漫画を持ってきてみんなで読もうみたいな感じで先生から率先して漫画持って来てたし。
とてものびのび暮らせて、いい経験も沢山出来て個人的にはかなり感謝だったのだが。

まぁ話は戻り、バドミントン組は5人だったかな?
最終決断ということで全員バドミントンの大会に出ることに。
ちょっと悲しかったけど、自分がしたいことするんやし、お互いがんばろう!って温和な感じでまとまった。

ただ、僕らのクラスは34人、5人減ると29人になってしまうので五年生で出たい人を募ることになった。
何人だったか五年生で出たいと言ってくれた子がいて、またまた練習に。

そして五年生の時、滋賀に転向してしまったY君も県大会だけはみんなで!ということでわざわざ滋賀から召喚されて参加することになった。

なんか大会の何日か前から来ていて、そのまま歓迎会とか授業とか受けてたな。
なんていい小学校なんでしょ。

さぁ、こんな感じで県大会に向けてのメンバーは揃いました。

はたして僕らは全国大会に行けるのでしょうか?

次回県大会編です。

続く~

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